❶〜SDGs+M(医療版SDGs)という視点~
❷〜ワクチン集団接種について考える~
❸〜運動器外来におけるミスリード“絶対矯正”~
❹~線形科学と非平衡開放系の同時併存はあり得ない~
脳は複雑系かつ非平衡開放系
熱力学における系(システム)は、孤立系、閉鎖系、開放系の三つに分類され、この区分は「外界との物質およびエネルギーの授受形態」によって定義されます。
・孤立系は外界と物質&エネルギーの授受(やり取り、交換)がない。
・閉鎖系は外界とエネルギーの授受のみがある(物質の授受がない)。
・開放系は外界と物質&エネルギーの授受がある。
環境科学においては、地球というシステムは宇宙とのあいだに物質の直接的な授受はなく、太陽からエネルギーを受け取っているため、閉鎖系と見なすことができます。
その一方で、システムの範囲をもう少し限定して、島というシステムを考えたとき、外洋から様々な動植物や浮遊物等が流れ着き、さらに船によるヒトや物資(石炭や石油などを含む)の移動があれば、開放系と見なされます。
地球上のあらゆる環境構成を見渡したとき、その多くは開放系として扱われます。この開放系は、平衡開放系と非平衡開放系に分かれます。
前者は平たく言えば「つり合いがとれている状態」であり、熱的平衡(温度変化がない)、物質的平衡(物質の総量と種類に変化がない)という概念で表されます。一方で後者(非平衡開放系)は温度変化があり、物質の総量や種類に変化がある状態です。
より厳密な定義に従えば、ほとんどの系(システム)は非平衡開放系に属します。
熱力学や統計力学は平衡系のみを対象にしており、他方、非線形科学や複雑系といった科学が扱っているのが非平衡系です。
以上の視点を踏まえ、ヒトの脳はどのような位置づけになるか?ご承知の通り、脳は複雑系の極みであり、同時に非平衡開放系と見なすことができます。
線形科学と非平衡開放系は水と油
量子力学は基本的に閉鎖系における数学の記述であり、従来の量子コンピュータも閉鎖系を軸に開発が進められてきました。しかし量子アニーリングの研究者のあいだでは閉鎖系から開放系へ、さらに平衡系から非平衡系へと、その視座が変化しつつあります。
量子コンピュータの開発ベクトルが非平衡開放系に向かう可能性については、非常に興味深い話だと思います。直感として量子重力理論との交絡を想起してしまいますし…。
まあ、それはさておき、そもそも我々が覚知する自然界のほとんどが開放系です。ヒトの生命システムは脳を含め、その全てが非平衡開放系です。
過去記事において、「整形外科は基本的に線形科学」と何度も指摘していますが、これはハード論全般に当てはまります。
前述したように、非平衡開放系はあくまでも非線形科学の管轄であって、線形科学とのあいだに親和性はありません。
線形科学と非平衡開放系は水と油のような関係なのです。
したがって線形科学を基盤に持つハード論が、最終的に非平衡開放系たる生命システムについて合理的な総括、道筋を示すことは論理的に不可能と言っていい…。これは当然の帰結です。人間はマシーン(機械)ではないのですから。
ところが、画像情報に依存した白衣ラベリング(ハード論による痛みの原因診断)が人類のペインリテラシーを根底から狂わせてしまっている…。
人類は前述したとおり「合理的な総括、道筋を示すことは論理的に不可能」であるはずのハード論(整形外科による痛みの原因診断)を思考回路のデフォルト設定にしています。
静止画像の中ではあたかも“時間の矢”がひっくり返るメタファーに、多くの患者が究極とも言える安心感の醸成、不安の削除といったトップダウン回路による脳弾塑性を発現させます(これをプラセボ効果という概念で説明する視座もある)。
しかしその代償として失ったものに気づく患者はほとんどいません…。何を失ったのかについては、当会の定期セミナーで繰り返し説明していますが次回のセミナー(12月19日)において、これまで以上にシンボリックな症例についてご報告します。
絶対医学の象徴「ハード論」
痛みの原因診断において、これだけハード論が人類の脳に深く刷り込まれたのには、明確な理由があります。画像検査の普及は言うに及ばず、より深い次元として本シリーズ(絶対医学から相対医学へのシフト)で述べてきたとおり、現代西洋医学は絶対医学を基盤にしているからです。
痛みの原因診断において、これだけハード論が人類の脳に深く刷り込まれたのには、明確な理由があります。画像検査の普及は言うに及ばず、より深い次元として本シリーズ(絶対医学から相対医学へのシフト)で述べてきたとおり、現代西洋医学は絶対医学を基盤にしているからです。
絶対医学(個体差を無視する医療哲学)というのは、本当に構造原因論(ハード論)と相性がいい…、究極とも言える親和性があります。
総じてハード論の多くが“感覚生成の場(脳)”を無視しつつ、構造だけを見る原因診断を是としており、基本的に個の特性という次元すなわち個体差を重視する哲学は一切ありません。
実際そうした現場では、画像だけ、あるいは肉体だけを見て診断することが“できてしまう”わけです。当然ながら患者個々の感受性を見極めて、ケースバイケースの対応を模索するといったような視点は皆無…。
それぞれのハード論が掲げる“あるべき正しい状態”に戻すことが施術理念の核を成す…、そういう体系がほとんどです。
そうした理念、哲学においては、個体差などという概念が入り込む余地はまったくありません。穿った物言いが許されるのなら、「個体差はあってはならないもの」なのです。
かつて筆者が私淑した世界的リハビリ研究者は「患者の気質的な要因(すなわち個体差)に逃げるのは技術者として失格」と言明していました。メンタルに目を向けることは、技術者として敗北だ、逃避だという感覚です。
自身の技術が未熟であることを棚に上げて、患者のせいにするのはけしからんと言いたいのです。たしかに一理ありますし、言わんとしていることはよく分かります。
しかし、こと痛みに関してはそれが通用しなかった…。一見、理にかなった聡明な理念も、認知神経科学の前にあえなく瓦解せざるを得ませんでした。神経可塑性という医療観がリハビリの概念を根底から変えてしまったからです。さらに痛みの原因診断をも…。
天才的な技術を持つ名人、達人たちにとって、自身の技術を神格化するためには、個体差という概念は究極的に邪魔な存在…。自分たちの価値を高める方法はただ一つ、弟子や信者たちに「自分の技術が未熟だから痛みが取れないのだ」と思い込ませること…、何といってもこれに尽きる。
こうしてハード論信者たちを量産することで、名人たちは己の名声を高め、確たる地位を築いてきたわけです。
つまりハード論にとって、より正確にはハード論の指導者にとって、個体差という概念は徹頭徹尾、完膚なきまでに、徹底して排除すべき対象なのです。
これこそが絶対医学とハード論の蜜月関係の正体です。したがって当会が主張する「相対医学へのシフト」はハード論にとって極めて不都合なパラダイムシフトであり、ハード論者らによる徹底抗戦、巨大な壁が待ち受けている…。
❶〜SDGs+M(医療版SDGs)という視点~
❷〜ワクチン集団接種について考える~
❸〜運動器外来におけるミスリード“絶対矯正”~
❹~線形科学と非平衡開放系の同時併存はあり得ない~

